帰ってきた月にいる犬

走ったり消火栓やら鉄道模型やら。好きな人やモノが多すぎて見放されてしまいそうだ。

8/21 その2 一丁ぐろ古墳群

あらかじめ。

また長文です。

dogonthemoon.hatenablog.com

このつづき。

朝8:00にはお姉ちゃんの友達が続々と家に集まってきました。

今日のミッションは女子中学生4人をここまで連れていくこと。

suntopia-okayama-soja.comスライダーとかもあって結構楽しいプール。

もうおっさんが一緒に中に入るわけにはいかないので

その間は自由行動です。

 

今日はこの人の助けを借ります。

おにやんま君。

佐賀の出張先のドラッグストアで発見。

値段(約¥1,500)をみて会社の後輩に正気ですかと聞かれる。

 

そのサントピア総社の山側にある駐車場に車を止めなおして登ります。

ここは岡山トレランの発祥の地だそうです。

 

前にプール来た時よりも整備されたか。

古墳の年表が書かれていました。

 

目指すは一丁ぐろ古墳群です。

tabioka.com結構最近に古墳と認識されたらしいです。

総社にあるとは聞いていたけど、

ここだという風には認識できていなかった。

トレランというより古墳探索分重めで。

 

 

登り始めてすぐ標識が見えました。

35号墳です。

次が控えていたので直接目的地の一丁ぐろ古墳に向かいます。

この地図を見て金毘羅宮の奥にある茶臼嶽古墳まで行ってみることに。

林道から左に一丁ぐろ古墳への看板が。

その道途中に6号墳。

葺石が残っている?

ja.wikipedia.org

主目的の1号墳に早くも到着。

前方部を臨む。

この古墳は前方後方墳です。

前方部から後方部を臨む。

鞍部と比べると結構前方部が高く思えます。

後方部。

確かに丸くは見えない。

このあたりも葺石だったら面白いのに。

岡山の初期古墳は尾根上に作られることが多いのですが、

大体眺望がよかったんでしょう。

上から見下ろすとともに下から見上げられることを考えると

恐らくその当時、このあたりの木立はほとんどなかったんじゃないかな?

 

 


後方部に説明書きがありました。

これは古墳時代ではないのでしょうけど、

石材って石棺じゃなかったら夢が広がるなぁ。

石室の蓋が露出しているのか。

四世紀初頭とみられる古墳の石室が未盗掘で残っているのであれば

見てみたいものです。

 

後方部の下から見上げます。

 

群集墳なので、主に方墳が点在しています。

こちらの写真よりも多くの古墳が尾根上のあちらこちらに。

こちらは石室を流用したお地蔵様なのか。

すくなくともここにお地蔵様を立てた人は

こちらが敬うべき何かであることを知っていたのかな。

ちなみにここからさほど遠くない最上稲荷の裏山には

石室を流用したお地蔵様の祠が多くあり、

以前行われていた最上稲荷トレイルランニングの中には

奥の岩が無くなりトンネル状になった石室を通過するところが

ルート上に存在しました。

この辺りはもうよくわからなかったり。

 

二十二号墳には看板があり、重要なものだそうです。

石室の天井が見えかかっていますが

スズメバチが隙間から出入りしていました。

おっかないからそこそこで退散です。

 

金毘羅宮までやってきました。

 

モミジと門の屋根がいい感じに。

木がなければ景色は良さそう。

目的地の茶臼嶽古墳は金毘羅宮からすぐでした。

頂上が後方部。この茶臼嶽古墳も前方後方墳

時代的には一丁ぐろ古墳の少し前の三世紀末だそうです。

看板 上端切れていて申し訳ない。

後方部から前方部を臨む。バチ型にはみえなかったかな。

後方部頭頂部。右側の谷は盗掘跡じゃないかと指摘されていました。

ここも古墳と認識されたのは最近です。

写真では伝わりにくいですが、後方部の角っぽいのはわかりました。

今回訪問した中で一番興奮したのはこの石列。

葺石だとしたらよく残っていたな。

ちゃんと水平方向に沿って並べられています。

 

あとは方墳がまだまだありましたが、あまりに長文になったのでここまで。

狭い範囲でいっぱい古墳浴ができました。

道も走りやすかったですし。

少し別の尾根筋から降りかけてしまいましたが。

 

まだ今日の主目的はここではないのですよ。

でももう暑さでなえ始めていました。

なんとか汗だくで次の目的地へ向かいました。